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京都地方裁判所 昭和62年(ワ)3002号 判決 1990年7月20日

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告各自に対し、それぞれ金一六五万円及びこれに対する昭和六二年一二月一三日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 承継前原告原田昭次郎(以下「昭次郎」という。)は、平成二年二月二五日死亡した。原告原田咲子は昭次郎の妻、原告原田徹はその子である。

(二) 被告は、京都府警察所属警察官をその職員として雇用する普通地方公共団体である。

2  昭次郎の逮捕、留置

(一) 昭次郎は、昭和六二年七月二二日午後二時二〇分ころ、京都市山科区北花山大林町五五番地先交差点(国道一号線(以下「国道」という。)と市道川田道との交差点、以下「川田道交差点」という。)の東北角(以下「本件貼付場所」という。)において、防護柵(以下「本件防護柵」という。)に取り付けられた日本共産党の掲示板(以下「本件掲示板」という。)に「赤旗写真ニュース」のポスター(以下「本件ポスター」という。)を張り付けた(以下「本件貼付行為」という。)。

(二) 嶋田の職務質問

(1) 京都府警察山科警察署(以下「山科署」という。)花山警察官派出所(以下「花山派出所」という。)に勤務する警察官嶋田歩巡査(以下「嶋田」という。)は、本件貼付行為を現認し、平成元年三月三一日改正前の京都市屋外広告物条例(以下「旧条例」という。)に違反する疑いを持ち(以下「本件被疑事実」という。)、国道北側の歩道(以下「北側歩道」という。)上を東に向かって歩いていた昭次郎を制止し、職務質問をした(嶋田が昭次郎を制止した地点を、以下「本件第一現場」という。)。

本件第一現場は、川田道交差点の東方約一一〇メートルの北側歩道上の地点である。

(2) 昭次郎は、職務質問を受けている状況を日本共産党京都東地区委員会(以下「東地区委員会」という。)に連絡しようと考え、国道南側の歩道(以下「南側歩道」という。)上の公衆電話ボックスを指差し、電話をかけることの許可を嶋田から得て、本件第一現場を離れた。

(三) 昭次郎の逮捕

(1) 昭次郎は、北側歩道上を川田道交差点まで戻り、その西側にある地下道を通って南側歩道に出て東の方向へ歩いて行った。そして、京都市山科区川田前畑町一番地の二先路上(以下「本件第二現場」という。)で、花山派出所に勤務する丸山美都志巡査部長(以下「丸山」という。)に制止され、その職務質問を受けた。庄次郎は、「私はみささぎあらまきちょうのはらだしょうじろうだ。連絡先は共産党の東地区委員会に聞いたらわかる。電話番号は五九一の七八五一だ。」と答えた。

(2) 昭次郎は、同日午後二時四〇分ころ、本件第二現場において逮捕され(以下「本件逮捕」という。)、山科署に連行された。

四  釈放までの経過

昭次郎は、二日間山科署に留置され(以下「本件留置」という。)、京都地方検察庁に身柄付きで送致されたのち、昭和六二年七月二四日午後三時五三分、山科署において釈放された。

3 本件逮捕及び留置の違法性

本件逮捕及び留置は、以下の理由により違法である。

(一)  旧条例の違憲性

旧条例は違憲無効であり、同条例を適用して行われた本件逮捕は、違法である。

(1) 原則的許可制、許可基準の不明確性

旧条例は、広告物の表示、掲出について一般的に禁止する建前を採り、市長の許可によってこれを解除するものとし(旧条例二条一項)、市長の許可につき市長が必要な範囲で条件を付することができると規定する(旧条例三条)。

右原則的許可制は、あまりにも広範な事前抑制であり、「単なる届出制を定めることは格別、そうでなく一般的な許可制を定めてこれを事前に抑制することは憲法の趣旨に反し許されない」との最高裁昭和二九年一一月二四日大法廷判決(刊集八巻一一号八六六頁)の基準に照らし、違憲であり、旧条例は無効である。

また、許可基準について何らの定めもないから行政機関の自由裁量による検閲を許す危険性が高く、その規制は余りにも広範な事前抑制であり、この点でも、右条例は、違憲、無効である。

加えて、市長が許可、不許可の決定をすべき期間の定めも、不許可決定につき理由を示す義務もなく、これは、言論の自由に対する重大な制約について、被制約者の権利保護に何ら実効的な保証がないものであるから、右条例は、違憲、無効である。

(2) 本件条例の絶対的禁止範囲について

屋外広告物法(以下「法」という。)四条一項は、美観風致の維持の必要性を勘案して、広告等の制限の可能な範囲を法定しているところ、旧条例四条及び五条は法の定める禁止地域及び禁止物件の範囲を著しく拡大している。

これを美観風致の維持の必要性という保護法益に照らして考察するならば、対象自体が美そのものの表象である場合、美観に奉仕する地域、場所又は物件である場合、美術的な建築物についてはそれ自体又はその敷地内につき付近一帯の自然美と調和して一帯の景観を形成するような場合には制限を肯定できるとしても、その余の場合にはこれを認める合理的根拠がなく、旧条例は、保護法益との関係で規制範囲を徒らに拡大したものであって、違憲である。

(3) 適用違憲

川田道交差点付近は、都市計画法上の美観地区ないし風致地区ではなく、また、第一種ないし第二種住居専用地区でもなく、国道は昼夜ともに交通量が多く、商店、喫茶店等が密集している雑然とした市街地であり、周囲には商業広告物が多数掲出されているところ、本件貼付行為は、かかる環境の下でたかだか政党の宣伝ポスター一枚を既設の掲示板に貼付してあったポスターと張り替えたにすぎない。かかる状況においては、表現の自由が美観風致の維持にはるかに優越するものというべきであり、本件条例を本件貼付行為に適用する限りにおいて違憲である。

(二)  犯罪の嫌疑の欠如

(1) 防護柵は、旧条例五条二項四号所定の「郵便ポスト、公衆電話所、公衆便所その他これらに類するもの」のうち「その他これに類するもの」には該当しない。

すなわち、「その他これらに類するもの」とは、「郵便ポスト、公衆電話所、公衆便所」に類するものであり、その形態や用途等から考えて、カードレールや歩道柵が含まれると考えるのは、一般的市民の常識からみて不可能であり、防護柵を含める解釈は罪刑法定主義に反するものである。

右のことは、平成元年三月三一日改正後の京都市屋外広告物条例(以下「新条例」という。)四条二項において、「郵便ポスト、公衆電話所、公衆便所その他これに類するもの」とは別に「防護さく」が新たに明示された事実からも明らかである。

(2) また、本件貼付行為は、直接防護柵にポスターを貼付したものではなく、防護柵に既に設置してあった掲示板に貼付したにすぎないから、禁止物件に広告物を表示したものとはいえない。

(3) したがって、本件逮捕は、犯罪行為がないのに昭次郎を逮捕したものであり、違法である。

(三)  逮捕の必要性の不存在

現行犯逮捕においても、逮捕の必要性がその要件であるところ、本件逮捕は、左のとおりこれを欠き、違法である。

(1) 逃亡のおそれについて

昭次郎は、嶋田及び丸山の職務質問に対し、住所、氏名及び連絡先の電話番号を告知し、本件貼付行為を明確に認めていた。また、嶋田から電話をかけることの許可を得て、本件第一現場の国道をはさんで南側はほぼ正面にある公衆電話に向った。

本件被疑事実が軽微な事案であること及び右各事実に徴し、逃亡のおそれはなかったのである。

(2) 罪証隠滅のおそれ

本件貼付行為は、嶋田によって現認され、昭次郎自身も認めており、当該ポスター等もいつでも証拠として保全できる状況にあった。したがって、本件被疑事実について証拠破壊のおそれはなかった。

(3) 本件被疑事実は軽微な犯罪であること、表現の自由の尊重及び美観風致の維持増進という立法目的実現の見地からは、逮捕に先立ち警告、制止等行政的対応をなすべきであり、警告、制止に応じないことを逮捕の要件とすべきところ、本件では嶋田及び丸山は昭次郎に対し警告も制止もせず、直ちに逮捕したものであって違法な逮捕というべきである。

(4) 本件逮捕は、共産党を弾圧する目的でなされた差別的逮捕であり、表現の自由及び平等権を侵害する違法な権力行使である。

(四)  逮捕の必要性の消滅

本件逮捕当日である昭和六二年七月二二日午後六時三〇分ころには、昭次郎の身元の確認ができ、本件貼付場所における証拠の収集も終了していたから、昭次郎に逃亡のおそれも証拠破壊のおそれも全くないことが明らかになっていたのであり、留置を継続すべきではなかったのに、本件被疑事実に関する捜査の責任者であった山科署警察官辻信夫警備課長(以下「辻」という。)は、違法な留置を継続した。

4 損害の発生

(一)  昭次郎は、本件逮捕により、正当な政治活動を抑圧され、長時間留置され、逮捕の現場を多数の者に目撃され、逮捕の事実を報道されるなどしたことによって甚大な精神的、肉体的苦痛を被った。これを慰謝するためには、金三〇〇万円をもってするのが相当である。

(二)  昭次郎は、本訴を提起するに当たり、原告代理人らに対し、金三〇万円の着手金及び報酬を支払うことを約束した。

5 よって、昭次郎の相続人である原告らはそれぞれ被告に対し、昭次郎に対する違法な逮捕及び留置の継続行為による国家賠償請求権に基づき、金一六五万円及び右不法行為の後である昭和六二年一二月一三日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二 請求原因に対する認否

1 請求原因1の(一)及び(二)の各事実は認める。

2 同2について

(一)  (一)の事実は認める。

(二)  (二)について

(1) (1)の事実は認める。ただし、本件第一現場は、川田道交差点の東方約八〇メートルの北側歩道上の地点である。

(2) (2)の事実は否認する。

(三)  (三)について

(1) (1)の事実は認める。なお、昭次郎は、丸山の職務質問に対し、脇をすり抜けて立ち去ろうとした。

(2) (2)の事実は認める。

(四)  (四)の事実は認める。

3 同3について

(一)  (一)の主張はいずれも争う。

(二)  (二)の主張は、新条例に「防護さく」が明示された点を認め、その余は争う。

(三)  (三)について

(1) (1)は否認ないし争う。

(2) (2)は、本件貼付行為が嶋田によって現認され、昭次郎自身も一応認めていたことは認め、その余は否認ないし争う。

(3) (3)は否認ないし争う。

(4) (4)は否認ないし争う。

(四)  (四)は否認ないし争う。

4 同4はいずれも否認ないし争う。

第三  証拠(省略)

理由

一  昭次郎及び原告らの身分関係等

請求原因1(一)及び(二)の各事実は当事者間に争いがない。

そして、承継前原告原田昭次郎本人尋問の結果(以下「昭次郎の供述」という。)によれば、昭次郎は、昭和一五年ころから京都市山科区御陵荒巻町五一番地二〇に居住し、同人宅の電話番号は五九一局六八七一番である。

二  本件逮捕の違法性

1  本件貼付場所の状況

成立に争いのない甲第一号証及び検甲第一ないし三号証、証人嶋田歩の証言(以下「嶋田証言」という。)により成立を認める乙第一号証及び弁論の全趣旨からその成立を認める同第三号証、同証言並びに昭次郎の供述によれば、本件貼付場所の状況は次のとおりと認められる。

京都市山科区北花山大林町五五番地先川田道交差点の東北角は、国道に平行して流れている幅員約一・一五メートルの水路があり、この水路と北側歩道及び川田道との間に歩行者転落防止のために、鉄製の本件防護柵が設置されている。本件防護柵は、高さ約一メートルで、縦に桟が並んだ形状である。本件掲示板は、本件防護柵の川田道に面する部分に針金で四角を堅固に固定され、設置されていた。右掲示板は、縦約六〇・五センチメートル、横約四五・六センチメートルのベニヤ板製で、当時、「赤旗写真ニュース」のポスターが貼付されていた。

なお、交差点付近は、民家、商店等で構成される市街地であり、国道南側に沿って、新幹線の高架橋がある。

2  本件逮捕に至る経緯

請求原因2のうち、(一)、(二)(1)(ただし、本件第一現場の位置を除く。)並びに(三)(1)及び(2)の事実は当事者間に争いがなく、右事実と、昭次郎の供述により成立を認める甲第二号証、前掲乙第一及び三号証、嶋田証言、証人丸山の証言(以下「丸山証言」という。)並びに昭次郎の供述によれば、以下の事実が認められ、右甲第二号証及び昭次郎の供述中右認定に反する部分は採用しない。

(一)  昭次郎は、昭和六二年七月二二日午後二時二〇分ころ、本件貼付場所において、本件掲示板に貼付されていた「赤旗写真ニュース」のポスターを外して、持参した本件ポスターを張り付けた。昭次郎は、このとき、東地区委員会から周辺地域の日本共産党掲示板に本件ポスター等を貼付するよう依頼され、「赤旗写真ニュース」と「平和のための戦争展」のポスター合計約三〇枚くらいを紙袋に入れて持っていた。

(二)  嶋田は、公用自動二輪車(以下「バイク」という。)で市道川田道を川田道交差点に向かって走行中、右交差点の約二五メートル北方から、昭次郎の本件貼付行為を現認した。嶋田は、右行為が旧条例に違反する疑いがあると判断し、山科署にその旨無線で報告したところ、山科署司令室から本件被疑事実の処理に当たるよう命じられた。そこで、嶋田は本件掲示板の前で、さらに本件ポスターが違反物件か否かを確認した。その時、花山派出所の責任者である丸山から無線で「現認が確かで禁止物件であることが確認できれば、男を確保せよ」との指示を受けた。昭次郎は、本件掲示板の約四六メートル東方北側歩道上を東に向ってゆっくり歩いていた。嶋田は、バイクで追跡し、昭次郎を追い越してからバイクを降り、川田道交差点の東方約八〇メートル付近の北側歩道上で、「御主人さん、ちょっと待ってください」といって、昭次郎を制止した。

(三)  嶋田は昭次郎に「先の国道一号線の川田道でポスターを貼ったのでしょう。」、「京都市屋外広告物条例違反になるから住所、氏名を教えてください」等と質問をした。これに対して、昭次郎は、「前に選挙用のポスターが貼ってあったところやから貼ったんや」と答えたが、住所、氏名については「なんで言わないかんのや」といって答えなかった。嶋田は、数回、住所、氏名を明らかにするよう求めた。すると、昭次郎は、嶋田に対し、「お前こそ名前を言うたらどうや」と反問した。嶋田は「嶋田です」と答えた。昭次郎は、相手が名前を名乗ったので、「わしははらだや」と答えた。嶋田は、さらに「はらだなんというんですか」と尋ねたが、昭次郎は「なんでそこまで言わないかんのや」といって、答えなかった。嶋田は、本件貼付行為が旧条例違反であることを告げて、氏名を明らかにするよう促したが、昭次郎は「言う必要はない」等と繰り返して、氏名を明らかにしなかった。

(四)  山科署からの指令で嶋田の応援に向った丸山は、同日午後二時二四分ころ、川田道交差点に到着し、嶋田に対して無線で現在位置と現在の状況の報告を求めた。嶋田は、「現在位置は現場から東へ七、八〇メートルくらい離れた北側の歩道上、現在人定中」等と報告した。その時、昭次郎は、無線交信中の嶋田に向かい、電話をかけに行くといって、嶋田が左手を前に出して制止したのを無視して、西の方に歩きだした。嶋田は、二、三歩昭次郎を追い掛けようとしたが、ちょうど、西から丸山がやってきたので、状況を報告するため停止した。

(五)  丸山は、北側歩道沿いにバイクで国道を東方に向い、嶋田と合流した。そして、嶋田から、左手に紙袋を持っている男がポスターを貼った男で、職務質問に対して原田としか答えず、無線中に電話をかけに行くといって立ち去った旨の報告を受け、本件第一現場の西方約五〇メートルの地点に昭次郎を発見し、直ちにバイクで北側歩道上を追跡した。丸山は、川田道交差点西側の地下道入り口で、バイクを降り、右地下道を通って南側歩道に出て足早に昭次郎を追い掛けた。そして、地下道入り口から約三五メートル東方の地点で、丸山は昭次郎に追い着いた。

(六)  丸山は昭次郎と並んで「ちょっと待ってください」と呼び止めたが、昭次郎は「なんや、電話かけにいくんや。もうひとりの巡査に言うたる」といって更に二、三歩、歩いた。そこで、丸山は、昭次郎の前に出て、再度「ちょっと待ってください」と呼び止めた。そして、昭次郎と向かいあい、「先程の巡査は電話をかけにいくのを許してない。あなたが勝手にそう思うだけでしょう。住所、氏名をいってください」といった。昭次郎は、「なんでいわんとあかんねん」などといって、答えず、丸山の脇を通って立ち去ろうとした。

丸山は、本件貼付行為が旧条例違反であることを説明したり、紙袋の中身について質問したりしながら、住所、氏名を明らかにするように求めたが、昭次郎は答えなかった。かえって、昭次郎は、丸山に「お前こそ名前はなんや」と問い返した。丸山は、「丸山です」と答えた。そのころ、嶋田が、丸山に合流した。さらに、丸山が昭次郎に、住所等を質問すると、やっと、「わしは、はらだや。御陵荒巻町のはらだしょうじろうや。電話は共産党の東地区委員会に聞けや。電話は五九一の七八五一や」と答えた。

そこで、丸山は、身分証明書など本人と証明できるようなものを持っていないか、自宅の電話番号も聞かせてくれるように尋ねた。昭次郎は、「そんなもん持ってへん。電話番号なんか言う必要がない」などと答えた。

そこへ、山科署の警邏用普通自動車(以下「パトカー」という。)が到着した。この間、丸山による職務質問の時間は約一五分であり、丸山、嶋田及び昭次郎は、丸山が昭次郎を制止した地点から一七、八メートル東の方へ移動していた。

(七)  丸山は昭次郎を逮捕する決断をし、同日午後二時四〇分ころ昭次郎に対して、「京都市屋外広告物条例違反の現行犯として逮捕する」といって、その右手を確保し、嶋田が昭次郎の左腕をとって身柄を確保し、同人を逮捕した。そして、同人は、前記パトカーで山科署に引致された。

3  右1、2の事実に基づき本件逮捕(現行犯逮捕)を違法とする事由について判断する。

(一)  犯罪の嫌疑の有無について

本件防護柵は、旧条例一三条一号、五条二項四号違反の犯罪構成要件(以下「本件犯罪構成要件」という。)にいう「その他これらに類するもの」に該当するものと解すべきである。その理由は、次のとおりである。

まず、旧条例五条二項四号にいう「その他これらに類するもの」との規定の仕方が刑罰法規として明確性を欠き憲法三一条に違反するかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読み取れるかどうかによってこれを決定すべきである(最高裁昭和五〇年九月一〇日大法廷判決刑集二九巻八号四八九頁)から、これを本件について検討する。

本件犯罪構成要件は、「郵便ポスト、公衆電話所、公衆便所」という公共用の物件を例示しており、右規定は公共用の物件に対する広告物の表示を防止して美観の保持を図る趣旨に出たものと解されるから、「その他これらに類するもの」とは、公共交通機関の停留所標識、交通指令塔、公共地下道の屋根や囲い、消火栓標識、歩道橋等広く公共用の物件をいうものと解される。そして、本件防護柵も右の公共物の物件というべきであるから、右条項に該当するものというべきである。

そして、旧条例の目的、例示物件に照らし、周囲の環境の保全及び当該公共用の物件の使用目的達成の見地から、通常の判断能力を有する一般人の理解において、本件防護柵につき本件貼付行為が禁止されることは十分認識され得るところであり、それ故旧条例五条二項四号の「その他これらに類するもの」との規定は、刑罰法規としての明確性を欠くものとはいえず、したがって、これが憲法三一条に違反するものとすることはできない。

以上のとおりであるから、本件貼付行為は、本件犯罪構成要件に該当し、本件逮捕が、犯罪の嫌疑を欠き、違法であるとする原告らの主張は理由がなく、失当というべきである。

なお、原告らは、本件貼付行為は、本件防護柵に直接貼付したものではなく、本件掲示板に貼付したものであるから、本件犯罪構成要件に該当しないとも主張するが、本件防護柵に固定された本件掲示板を利用して、本件ポスターを防護柵に貼付したものというべきであるから、右主張が失当なことは明らかである。

(二)  旧条例の合憲性

(1) 原則的許可制及び許可基準の不明確性に関する原告らの主張は、広告物の表示を禁止された物件に対する広告物の表示に関する本件被疑事実とは関係がなく、失当である。

(2) 旧条例の絶対的禁止範囲について

本件条例の保護法益は、単に芸術的評価に支えられた美観に尽きるものではなく、猥雑な環境を排除し、日常生活上の環境の良好な保持にあるというべきであるから、これと異なる保護法益を主張し、本件条例の規制範囲が広範囲で合理性を欠くとの原告らの主張は理由がなく、失当である。

(3) 適用違憲の主張について

原告らの主張は、要するに、川田道交差点付近の環境は雑然としているうえ、多数の商業広告物等が掲出されており、本件貼付行為によっていまさら猥雑な環境に変化を与えるようなものでなく、かかる場合には、政治的表現の自由が美観風致の維持という法益よりはるかに優越するというのである。しかし、右主張は、その前提とする環境変化に関する事実を認めるに足りる証拠はなく、その点で既に失当というべきである。また、法及び旧条例は、原告ら指摘の表現の自由と美観風致の維持との利益衡量を経て制定されたものと解されるから、原告ら主張の利益衡量を根拠に本件に適用するかぎりにおいて違憲であるとの主張は、失当というべきである。

(4) 以上の検討のとおりであるから、本件条例が違憲であるとは認められず、本件条例が違憲であることを前提に本件逮捕が違法であるとする原告らの主張は理由がなく、失当というべきである。

(三)  逮捕の必要性

(1) 現行犯逮捕の規定である刑事訴訟法二一二条及び二一三条は、逮捕の必要性を明示していないが、現行犯逮捕も人の身体の自由を拘束する強制処分であるから、その要件はできる限り厳格に解すべきであり、通常逮捕の場合と同様逮捕の必要性をその要件と解するのが相当である。もっとも現行犯の場合には、通常は逮捕者に犯人の身元が明らかでなく、直ちに逮捕しなければ犯人の所在が不明となり、同時にその所持する証拠物も所在不明となるおそれがあるから、逃亡又は罪証隠滅のおそれが通常推認されるが、明らかに逮捕の必要性がないと認められる場合には逮捕は許されないというべきである。

本件についてこれを見るに、前記認定事実によれば嶋田が、昭次郎の本件貼付行為を現認し、昭次郎を現行犯人と認めたものであるから、本件逮捕が法定の現行犯逮捕の要件を充足していることは明らかであり、逮捕の必要性という点からみても、前記認定の事実の下では、現行犯人の人定事項すら明らかになっていないのであるから、本件逮捕が逮捕の必要性を欠くとの原告らの主張の失当なことは明らかというべきである。

(2) 警告、制止を逮捕の要件とすべきであるとの主張について

事前の警告、制止を逮捕の要件とすることは憲法、刑事訴訟法の予定するところではなく、事前の警告や制止を欠いたことをもって違法といえないことは明らかである。

(3) 日本共産党弾圧目的の逮捕であるとの主張について

被告が旧条例に関する犯罪の捜査をするについて、日本共産党と他の政党その他の団体とを類型的に区別していることを認めるに足りる証拠はないから、本件逮捕が、日本共産党弾圧のためになされたものと認めることはできない。

(4) 右のとおりであるから、本件現行犯逮捕が逮捕の要件を欠き、又は逮捕権の濫用であるから本件逮捕が違法であるとの原告らの主張は採用できない。

(四)  以上の検討のとおり、本件逮捕行為は違法であったとは認められない。

三  本件留置継続の違法性

1  本件逮捕から検察官送致ないし釈放までの経緯

請求原因2(四)の事実は当事者間に争いがなく、右事実と、証人青井亮一及び辻信男の各証言によれば、次のとおりの事実が認められる。

(一)  昭次郎は、昭和六二年七月二二日午後二時五〇分ころ、山科署に引致され、同月二四日午前一一時ころ、検察庁に送致されるまで、同署に留置され、その後、同日午後三時五三分、同署において釈放された。

この間、同月二二日夕刻ころから午後八時過ぎころまで昭次郎の支援者四、五〇人が山科署前に集まり、シュプレヒコール等をして気勢を上げていた。また、翌二三日昼ころにも、支援者二、三〇人が同署前に集まっていた。

(二)  本件被疑事実の捜査体制

山科署副署長青井亮一警視(以下「青井」という。)は、昭和六二年七月二二日午後三時ころ、同署外勤管理官藤原警視から「管内の川田道交差点付近のガードレールにポスターほ貼った男を現行犯逮捕した」という報告を受け、本件被疑事実は、本来防犯課の担当であるが、当時防犯課員がほとんど出払っていたこと及び本件ポスターの内容等から組織的な応援が予想されたこと等から、事件処理を警備課の担当とすることに決め、同日午後三時三〇分ころ、警備課長である辻に捜査主任官として本件被疑事実の捜査に当たることを命令した。

辻は、事件の引継ぎを受けた際、嶋田及び外勤課第三課長竹田警部から事案の内容を聴取し、本件被疑事実が政治運動に関連して発生した事件であるから本部長指揮事件に該当すると判断し、同日午後三時四〇分過ぎころ、京都府警察本部に報告すると共に、捜査員の応援派遣を要請した。

右の経過で、本件被疑事実は、警備課が担当し、本部長指揮事件として、以後の捜査が行なわれることになった。京都府警察本部からは、約二〇名の捜査員(以下「捜査員」という)が派遣された。

なお、本部長指揮事件は、捜査主任官が具体的な捜査に当たるのであるが、その判断を署長又は副所長に報告して指揮を仰ぎ、署長又は副所長は警察署からの意見としてそれを京都府警察本部の指揮官に報告し、最終的には本部長の指揮に基づき捜査を行なう体制である。

(三)  その後の捜査の状況

辻は、捜査員に命じて、昭和六二年七月二二日午後四時三〇分ころから午後六時ころまで、本件貼付場所付近の実況見分及び本件ポスター及び本件掲示板の差押を実施した。

また、御陵荒巻町を管轄する警察官派出所に備付の案内簿を確認させたところ、同日午後四時三〇分ころ、原田昭次郎という氏名が記載されていることが判明した。

また、同日午後四時三〇分ころから午後六時三〇分ころまで及びその後の二回、御陵荒巻町において聞き込み捜査を実施したところ、第一回目の聞き込み捜査によって、「写真であるから断言はできないが、昭次郎によく似た人物が同町内に住んでいる」との聞き込みの結果を得た。第二回目の聞き込み捜査では、何らの情報も得られなかった。

なお、同日午後五時ころ、昭次郎と接見した弁護士らは、青井に対して昭次郎の身元を引き受ける旨を申し出て、釈放を求めたが、右弁護士らは専ら身元引受と釈放を求め、留置に抗議するのみで、昭次郎の住所、氏名、年齢等のいわゆる身元に関する事実、被疑事実の認否等については一切明らかにしなかった。

辻は、翌二三日午前中、山科区役所に捜査員を派遣し、住民票台帳を閲覧させたところ、御陵荒巻町五一番地二〇に原田昭次郎なる人物が居住している事実が判明したので同区役所に対し身上調査照会をし、同日正午ころ、同区役所からこれに対する回答を得て、同人の住所、生年月日、家族構成等が判明した。

辻は、これらと併行して本件ポスター等の印刷先の特定についても捜査を行ったが、判明しなかった。

(四)  昭次郎の取調べの状況

辻は、七月二二日午後四時二〇分ころから午後五時ころまで及び午後六時四〇分ころから午後七時四〇分ころまでの二回、また、翌二三日に三回、二四日に一回、昭次郎の取調べを試みたが、昭次郎は、本件被疑事実及びこれに関する事項、住所、氏名等人定事項一切について黙秘していた。

(五)  本件貼付行為に先立ち、昭和六二年一月三〇日午前一一時ころ、御陵三蔵町おいて、フェンスに設置されていた日本共産党の掲示板が、折からの風にあおられて、通行中の女性に当たりその顔面を負傷し、その女性が東地区委員会に抗議の電話をしたところ、右掲示板が持ち去られるという事案が発生した(以下「掲示板による傷害事案」という。)。山科署は、右女性の申告により、捜査をしたが、既に掲示板は持ち去られており、実行行為者が不明で、右事案についてはなお継続捜査扱いとなっている。

右事案については、同年二月の山科署における課長会議において刑事課長から職務執行上注意するように各課長に対して要請があった。

2  右事実及び前記二1、2認定の事実に基づき判断する。

(一)  現行犯逮捕をした場合、司法警察員は、被疑者の弁解を聴取したうえ、留置の必要がないと判断したときは直ちに身柄を釈放しなければなず、留置の必要があると認めたときは、四八時間以内に検察官に送致しなければならない(刑事訴訟法二一六条、二〇三条)。ここに留置の必要とは、身柄拘束を継続する必要性であり、逃亡又は罪証隠滅のおそれがあることである。そして、検察官送致までに四八時間の時間的猶予があるが、その期間内に身柄拘束の必要性が消滅すれば、身柄を釈放しなければならないことはいうまでもない。

留置の必要性の判断は、事案の軽重、証拠収集の状況、捜査に対する被疑者の対応等の具体的状況の下で、初動捜査段階における事件の流動性を踏まえ、客観的にされなければならないものというべきである。

(二)  前期認定事実によれば、昭次郎が職務質問の際に名乗っていた住所氏名は他人名詐称の疑いがあったから被疑者の人定事項を明らかにすることが必要であり、また、前記掲示板による傷害事案があったことから本件貼付行為の態様、規模、動機、組織性等を解明することが本件被疑事実の処分を決するために必要であったと考えられる。

ところで、本件貼付行為の外形的態様については、本件貼付場所付近の実況見分及び本件ポスター、掲示板等の差押により、昭和六二年七月二二日午後六時ころまでには明らかになっていた。また、被疑者の人定事項については、昭次郎は取調べに一切黙秘して協力しなかったのでこの点からは解明できず、案内簿による確認、聞き込み捜査による情報及び山科区役所に対する身上照会の回答により、他に他人名詐称を疑わせる事情もなかったことと相俟って、被疑者が原田昭次郎であること、その身上関係については右身上照会の回答のとおりであることが、七月二三日昼ころに判明したものと認められる。

しかしながら、本件貼付行為の動機、組織性については、印刷先を捜査するも判明せず、他に有力な手掛かりも得られず、被疑者が取調べに対して黙秘し、その協力も得られなかったことから、これが解明するに至っていなかったものと推認される。かかる状況に加えて、本件貼付行為が多数の掲示板に対するポスター貼付行為の一環としてなされ、多数の者が分担して各地域の掲示板に貼付しているものと疑われることや職務質問等に対する昭次郎の責任回避的態度に徴すれば、昭次郎を釈放すれば、かかる多数の者と通謀して、口裏をあわせる等罪証隠滅を図るおそれがないとはいえない。

したがって、本件被疑事実について、罪証隠滅のおそれが消滅していたとはいえず、留置の必要性に欠けるところはなかったものというべきである。

よって、本件留置を継続した主任捜査官である辻の行為は、違法であったとは認められない。

四  以上の検討のとおり、本件逮捕及び本件留置はいずれも違法と認めることはできないから、その余の判断をするまでもなく、原告らの主張は理由がないものというべきである。

五  結論

よって、原告らの主張はいずれも理由がなく、失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

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